その12 ディズニーランドがやってきた
先週は結局お休みしてしまいました。いろいろありまして、パソコンに向かう時間もなかったのです。
さて、今週は東京ディズニーランドができた頃のお話です。今、ディズニーランドでは開園15周年のイベントが行われています。開園時のビデオ等も出ている様ですが、ここではそのもうちょっと前のお話をします。
今でこそ、千葉県は舞浜に当然の様にある東京ディズニーランドですが、初めて日本でのディズニーランド建設が発表された時、驚きと疑いの声が日本中を席捲しました。
というのも、ディズニーランドはアメリカ文化の象徴であり、国外不出の観光名所であり、外交上のカードですらあったからです。
かつてソ連の書記長フルシチョフは、訪米の折に突然ディズニーランドに行きたいと言い出し、様々な理由からそれが実現しなかったため、ひどく憤慨したと言います。また各国の元首や国王も訪米の折には必ず訪れ、ディズニーランドはアメリカの名所として、その絶対的な地位を確立していました。日本の皇太子(現・今上天皇)も訪米の折に訪れています。
そのディズニーランドが日本にできる。
カリブの海賊も、ジャングル・クルーズも、そら飛ぶダンボも、皆やってくる。ディズニーランドに行った事のある人、ない人、それぞれ騒然となりました。
場所は千葉県の造成地・舞浜と決まり、速いテンポで建設が開始されました。この頃はまだ京葉線は開通しておらず、地下鉄東西線の葛西や浦安などからバスが通っていました。
半湿地帯の草むらに造成車が入り、山が、川が、城が出来上がって行きました。時を同じくして、ディズニーランドの運営団体であるオリエンタルランド社のスタッフがアメリカの本家ディズニーランドに出向き、その運営を学んでいました。
それに縮み上がったのは、日本の遊園地です。東京最大規模の遊園地としまえんは、新しいアトラクションを多数導入し、またプールを改修することによりディズニー・ショックに備えました。また、よみうりランドや後楽園ゆうえんち、多摩テックなども、次々に対ディズニーランド戦略を打ち出しました。
不動産関係も動き出しました。たちまち舞浜近辺の地価は上昇しました。しかし、既にディズニーランド近辺の土地は押さえられていたため、大きな混乱が起こる事はありませんでした。
アナハイムの初代ディズニーランド開園の時に、周辺に汚い安宿やイメージを壊す飲食店等が一斉に乱立する、という事があったりました。そのため、フロリダのディズニーワールド建設の時より、周辺の土地も押さえた上でのディズニーランド建設が行われているのです。東京ディズニーランド建設の時も同じ戦略が取られました。そのため、舞浜駅からディズニーランドまでは店が一軒もないのです。あそこは既に、ディズニーランドの敷地内なんですね。
そして1983年4月1日(だったと記憶していますが、自信がないですな)、開園を迎えたのです。その後の発展は、皆さんがご存知の通りですね。