その9 ハワード・アシュマンという人物 (1)
前回のいつもとちょっと違った雰囲気は結構好評で、今後はあのイメージで行こうとおもっています。 しかし、ある方よりのリクエストで、今回と次回だけはそれまでのウンチク話をさせてもらいますね。実にお話しやすいリクエストだったのです。
今回のお題は、ハワード・アシュマンという人物についてです。
ディズニーの長い歴史の中で、多くの名スタッフが生まれ、活躍し、名作を残してきました。ウォルト・ディズニーはもちろんの事、ウォーホルト・キンボル
(『ピノキオ』)、ベン・シャープスティン (『ピノキオ』など)、ウォルフガング・ライザーマン (『ダンボ』など)などの初期の監督・アニメーターたちや、シャーマン兄弟(『メリー・ポピンズ』など)やアラン・メンケン(『アラジン』など)などの名作曲家など、有名どころを上げただけでも、キリがありません。
その名スタッフの中で、特に強く輝いたのが、ハワード・アシュマンです。
彼が携わった作品は、たったの3つ、『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン』の3作品です。近代ディズニーの隆興の礎となった作品たちです。
彼は最初、オフシアター・ミュージカルのプロデュースと作詞をしていた様です。いくつかの作品を経た後、スマッシュ・ヒットを放ちました。それが『リトルショップ・オブ・ホラーズ』です。この作品でハワード・アシュマンが組んだ作曲家が、今をときめくアラン・メンケンです。この頃アラン・メンケンは、クラッシックの作曲に見切りをつけ、新天地で苦悩していた頃だといわれています。『リトルショップ〜』はオフシアターでは異例のロングランとなり、フランク・オズ監督の元で映画化されました(ちなみに、この『リトルショップ・オブ・ホラーズ』の原作はロジャー・コーマンのB級モノクロ映画なのです)。ミュージカルは日本でも公開されていました。真田広之が主演をしていました。
その後、ハワード・アシュマンとアラン・メンケンはディズニーの作品に参加する事になりました。当時のディズニーは新しい音楽の導入に積極的でした。『オリビアちゃんの大冒険』では巨匠ヘンリー・マンシーニ
(『ピンクパンサーのテーマ』やスターウォーズのテーマが有名)を起用し、『オリバー』ではビリー・ジョエル、ベット・ミドラーなどの歌手を起用するなど、精力的な活動をしていました。
そのディズニーにハワード・アシュマンが参加した経緯には諸説があり、どれが本当なのかよく分かりません。
説 1:当時ディズニーで企画されていた『人魚姫』のミュージカル化をアシュマンも企画しており、ディズニーの声がかかって参加した。
説 2:『リトルショップ〜』の制作会社ゲフィンの紹介でディズニーに参加した
説 3:アシュマン自らがディズニーに参加を打診した
どれが本当かは良くわかりません (どの資料にもホントの様に書いてある・・・いいかげんなもんだなあ)
はっきりしているのは、新しい企画『人魚姫』のプロデューサーとしてハワード・アシュマンがディズニー入りし、彼がアラン・メンケンを推薦して呼び寄せた、という事です。つまり、今をときめくアラン・メンケンをディズニーに呼び入れたのは、アシュマンだったのです。
『リトルショップ〜』以来の黄金コンビが復活し、様々な名曲が瞬く間に作られていきました。『Under the Sea』、『Part
of Your World』、『Kiss the Girl』・・・そして名作『リトル・マーメイド』が完成しました。この作品のサントラはサントラの常識を超えたミリオンセラーとなり、ついに彼等はアカデミー賞(オリジナル作曲賞、主題歌賞『Under
the Sea』)を獲得したのです。以前二人は『リトルショップ〜』の映画音楽で、主題歌賞にノミネートはされた(『Little Shop
of Horrors』)ものの惜しくも受賞を逃していただけに、感動はひとしおでした。
しかし授賞式の翌日、アシュマンはメンケンに、背筋も凍る様な事実を打ち明けます。
(次回に続く)